サイトと呼ぶ訳
日本の住所と異なり、アメリカでは道路の全てに名称を付けてその道路と番地を組み合わせて住所としている。

~ドライブ、~ロード、~ストリート、~ブールバード、~アベニュー、~ハイウェイ等であり、他にも~プレイスがあり、サイト~がある。
ちなみにハイウェイは日本では高速道路だが、アメリカでは街中の一般道にも名付けられていて、最初は違和感があったが、その内にそんなもんなんだと思う様になった。
言うまでも無く、アメリカの高速道路はフリーウェイと呼ばれるものだ。

話はそれたが、中でもこのサイトと言うのは特に一群である場合の住所を現している様だ。

という訳で、私がサイトを使用するのは、そこに複数の建物の配置があったり、配置を予定しているからである。

アメリカでは住まいに関する多くを見聞し、今の自分の小屋や暮らしを考えるベースになっている。

アメリカのハードウエア(日本で言うホームセンター)は、私にとってはワンダーランドだった。
無垢の木製ドアや窓には様様な種類があって、見ていると夢は膨らみ、飽きることは無かった。
キャビネット類も照明器具類も、どれほど、何とか日本に持ち帰る方法は無いものかと考え、かつ願ったことだろうか・・・

確か、アメリカで撮影したユニークな郵便配達車両の画像があったはず・・・


ベースと呼ぶ訳
昭和47年春、北海道のドの付く田舎の村から単身、私は東京へ出て来た。

下宿に同じ年の青森県三沢高校の野球部出身者がいた。
彼はキャッチャーで、一年生の時に三年生だった 太田幸司 の球を受けていたんだと話して、一躍、皆から一目置かれる人物となった。

太田幸司氏とは、当時では知らぬ人の無い、スーパーヒーローだったからだ。

青森県ではあるが三沢市は旧盛岡藩南部氏の領地であり、母方の祖父が南部衆であった私が南部のクオーターであることもあってか、その彼とは気が合っていろいろな話をした。

そうした中で、強く心に残った言葉がベースだった。
もちろん、アメリカ空軍三沢基地のことであり、彼の話に頻繁に登場した。
当時の三沢ベースは民間に開放されておらず、進駐軍の余韻が色濃く残る時代だった。

北海道の山の中育ちの私は、それまでテレビ以外に外国人を見たことは無く、テレビで見るアメリカのホームドラマは夢の世界だった。
しかしベースの中へ出入りしてそれを目にしていた彼は普通のことの様に話した。

ベース放送(FEN=フェン=ファーイーストネットワーク=極東放送)から流れてくるアメリカンポップスは、私より少し上、団塊の世代の憧れだった。

その頃から私の中にベース(基地)という言葉は特別なものとして刷り込まれ、殊に自作小屋には気に入って使用している。

 
かれこれ2か月
このサイトを創り始めてから、もう2ヶ月が経とうとしていることに気がついた。

さっぱりイメージが固まらず、どう創るかという方針さえ固まっていないのに、もう2ヶ月になるらしい。

カテゴリーは、もう少し記事が充実してから整理統合をしたい。

興味を持ち、創っては興味を失って放置の繰り返しをしてきた私にとって、興味を保ち続けることは難しいし、それにも増してサイトを更新し続けることなど至難の業だと思われる。

しかも家庭菜園の農繁期に入る準備中で、あれこれその作業に追われまくり。

たださえ画像を撮り忘れてしまうし・・・

支離滅裂だし。

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