ベースと呼ぶ訳
昭和47年春、北海道のドの付く田舎の村から単身、私は東京へ出て来た。

下宿に同じ年の青森県三沢高校の野球部出身者がいた。
彼はキャッチャーで、一年生の時に三年生だった 太田幸司 の球を受けていたんだと話して、一躍、皆から一目置かれる人物となった。

太田幸司氏とは、当時では知らぬ人の無い、スーパーヒーローだったからだ。

青森県ではあるが三沢市は旧盛岡藩南部氏の領地であり、母方の祖父が南部衆であった私が南部のクオーターであることもあってか、その彼とは気が合っていろいろな話をした。

そうした中で、強く心に残った言葉がベースだった。
もちろん、アメリカ空軍三沢基地のことであり、彼の話に頻繁に登場した。
当時の三沢ベースは民間に開放されておらず、進駐軍の余韻が色濃く残る時代だった。

北海道の山の中育ちの私は、それまでテレビ以外に外国人を見たことは無く、テレビで見るアメリカのホームドラマは夢の世界だった。
しかしベースの中へ出入りしてそれを目にしていた彼は普通のことの様に話した。

ベース放送(FEN=フェン=ファーイーストネットワーク=極東放送)から流れてくるアメリカンポップスは、私より少し上、団塊の世代の憧れだった。

その頃から私の中にベース(基地)という言葉は特別なものとして刷り込まれ、殊に自作小屋には気に入って使用している。

 
トラックバックURL
トラックバック一覧
コメント一覧
コメント投稿

名前

URL

メッセージ

- CafeNote -